子どもが宿題になかなか取り掛からず、親もイライラ、そしてついつい叱ってしまいます。
そんな親も子どももストレスを抱えながらの悪循環の毎日を送っていませんか?
子どもをやる気にさせる方法ってあるのでしょうか。ちょっとした工夫をご紹介していきます。
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時間の目安とは
宿題は、毎日学校から出されるものです。
低学年のうちは簡単に終わらせていたものが、どんどん学年があがるにつれて宿題の量も増えていき、勉強時間も長くなっていきます。
家庭学習は、まず小学校の6年間で、毎日するという習慣を身につけさせることから始まります。
それは自分と向き合う時間でもあります。そして、将来自分の進む道を見つけ、それに向かってがんばる力の一つとして家庭学習、その一つとして、宿題があるのです。
小学生の間は、学年×10分+10分が、家に帰ってからの家庭学習の時間の目安として適当だと言われています。
学年×10分+10分
小学1年生は、 1×10分+10分=20分
小学4年生は、 4×10分+10分=50分
宿題になかなか取り掛からない場合は、時間を自分で決めさせる
学校から子どもが帰ってくると、一番に「宿題やってね」「宿題は?」と聞いたり、宿題をするよう促してしまうことが多くあると思います。
親からしてみれば、日常の当たり前の会話、コミュニケーションの一つだと思ってついつい言ってしまう言葉。
しかし、子どもからしてみると、「今やろうと思ったのに」この時点で、子どもは、やる気を阻害されてしまっています。
親から指示するのではなく、できるだけ本人に任せるように仕向けていくのが賢いやり方です。
例えば、テレビを見ているとしたら「何時になったらテレビを消す?」ゲームをしようとしていたら「何分ゲームをする?」と子どもに時間を決めさせるのです。
そうしたら、自分が言った責任もあるので、叱って止めさせる方法よりも子どもは納得して止めるはずです。
「次は?」なかなか宿題をやろうとしない場合は、問いかけをしてやめるためのシステム作りをつくってあげるのが良いでしょう。
宿題に向き合う姿勢は、低学年のうちまでに習慣づけを
学年によって、宿題の量だけではなく、取り組み方も徐々に変わっていきます。
低学年のうちに、ぜひ自分で宿題をするという意識、習慣を身につけさせることが大切です。
中学年、高学年になると、自分で答え合わせをし、自主的な学習の取り組む姿勢が求められてきます。
宿題は一人で考える貴重な時間です。親は見守るだけ!
宿題は、基本的な生活習慣として、勉強したことの復習、または予習でもあります。
できるだけ子どもが、「これはどうやるの?」「この漢字は?」の質問に安易に答えてしまわないことです。
本来、宿題は、悶々と考え抜いて答えを出していく作業なのです。しかし、どうしても分からないという時は、親のサポートも必要になります。
サポートも必要ではありますが、しすぎないというのが、何においても子どもの自立には必要なのです。
それが、これから何か課題にぶつかった場合、常に親に頼りきりになってしまったり、誰かに頼っていたら自分で解決の道や、決断する力もできなくなってしまいます。
宿題を通して自分で解決方法を導き出すことが必要なのです。
学校の勉強では、先生からの指導、友達といろいろな意見や考え方を学ぶ大切な時間です。
そして、宿題は、自分一人で考える唯一の時間なのです。
家庭学習として、他にこんな時間を作ってみよう!
平日は、帰ってくるのも遅かったり、習い事、塾があるとそうはいきませんが、時間があるときや、土日には、こんな時間も作ってみましょう。
自分のことは自分でさせる
洗濯物を自分でたたんでタンスへ入れたり、机周りを綺麗に整理整頓させましょう。また上靴を持って帰ってきたら、自分で洗わせるなど自分のことは、自分でさせるようにしましょう。
今日あった出来事を、夕食などに話をする
今日あった出来事や、それについてお友達がこう言った、そして自分はこう思ったなどの話をすれば、順序立てて話ができるようになるでしょう。また学校の様子や、子どもとのコミュニケーションのにもなります。
音楽を楽しむ
いろいろな音楽を聴いてみるのも良いです。学校で習った歌や、好きな歌を聴いたり、歌ったりして家族で楽しみましょう。
宿題は面倒だなと思うぐらいの時間がちょうど良い!
子どもにとって、宿題は、めんどうだなと思う時間でもあります。
学校で勉強したのに、また家でも勉強か、と億劫になるのも事実。ましてやクラブ活動や、習い事を終えて帰ってきて疲れているのに。
宿題は、子どもにとってもストレスの一つです。
しかし、これは、大人になっても、めんどうなことから逃れないという姿勢にもつながるのです。
好きなサッカーや、遊びは、どれだけやっても楽しいし、頑張れる。
でも人生を生きていくうえで、好きなことだけではありません。苦手なものや、めんどうなものから逃げずに立ち向かうことも大切なのです。